今回の一枚 Vol.20


「バレンタイン・チョコ」
クラーク少佐より愛を込めて…


 日々の生活の中、各種メディアから隔離されてバレンタインの存在すら忘れていたが、先日久々に潜ったところ、某HARUKA殿からいきなりトラップ…もとい、罠…もとい、愛をいただき思い出した。
 ふっ…HARUKA殿…悪いな。ハートを射止めようと思ったのだろうが、俺のハートは一人に向けられることは無い。地球上の全人類に向けられているのさ。数多くの人の中から、一人を選ぶと、残りのみんなにうらまれてしまうからな…。ふっ・・・

 ところで、皆様はバレンタイン・デーの由来をご存知だろうか?ほとんどの方は、「製菓会社の陰謀」と考えているだろう。しかし、日本でそもそも配られるようになった背景、いうならば、「製菓会社」がわざわざ「チョコレート」を出したところには深い意味がある。ちょうどいい機会なのでトリビア…というわけではないが、意外と知らない方が多いようなのでここで紹介する。(某ALISA殿は、激しく…むしろ私よりもご存じのようであったが)


 昭和21年冬(昭和20年との説も有り)、太平洋戦争に敗れ日本がアメリカの占領下にあった時代の話。神戸にやってきた進駐軍士官の中に、彼、ヴァレンタイン・D・クラーク少佐はいた。クラーク少佐は1920年2月14日ボストンに生まれ、誕生日の聖人「聖ヴァレンティノ」にちなみヴァレンタインと名づけられた。聖人の名前を冠したクラークは、その名の通り慈愛に満ちあふれた青年に成長し、陸軍に入隊した後もその性質は変わることはなかった。

 太平洋戦線で戦った敵国民にもかかわらず、日本人に対して常に敬意と愛情を持って接していた。そんな彼の性格がもっとも表れているのが、このバレンタイン・デーのエピソードである。

 敗戦後の混乱の中で飢えに苦しむ人々…特にがりがりにやせ細った子供たちの悲惨さを見かねた彼は、日本にいた3年間、毎年毎年…自分の誕生日である2月14日に、子供たちへのプレゼントとして5,000枚のチョコレートを配ってまわっていた。

 かっての敵である自分たちに対しても愛をもって接する彼の姿にうたれた神戸の人々は、クラーク少佐の愛ある行動を記念して、2月14日にチョコレートを贈り合うようになったわけである。

 その故事を元に昭和30年代半ば、山本製菓がチョコレートを異性にプレゼントするというキャンペーンを行い始めた。神戸から日本中に広まり定着してきた昭和50年頃には、クラーク少佐の故事などはまったく伝わっておらず、残念なことに「女性が男性に告白する日」になってしまった。そもそもは上記のような真実の愛…万国共通、人間が持っている最高の宝をそのまま物語にしたような故事から成り立っている記念の日が「バレンタイン・デー」なのである。皆様も、クラーク少佐の行いに敬意を示し、この記念すべき日に苦しんでいる人たちを助けるべく、何か行動をして見てはいかがだろうか?